考え方のクセを変える

あるとき、ふと気付いたのですが、人の持っている性格とか行動パターンといったものは、そのほとんどが人生のなかで身につけてきた考え方のクセのようなものでしかないんですよね。だからその気になれば変えることができるものなんです。


けれど、その気になるのが難しいというか、大抵の場合、今まで慣れ親しんだ自分の性格というのは、うまくない部分があると分っていても、どこか愛着があって捨て難かったり、逆に、自分の性格が嫌で嫌でしかたない場合には、かえってそういう自分を冷静に見ることができなくて、変えようにも変えられないといったことになりがちです。


そこで、もし自分の性格を変えたいという気持があるならば、まあ、性格を変えるとかいうと大袈裟な話になりますから、考え方のクセをちょっと変えてみようかくらいの、軽い気持でとりかかったらよいと思います。


まずは深呼吸でもして心を落ち着けて。自分の中の変えたい部分をじっくり見てやることです。
無理に変える必要はありません。落ち着いてそこを見ているだけでいいんです。焦らず騒がずそれを続けていけば、やがて自然に変化を始めている自分に気づくことでしょう。


さて、ぼくの場合ですが、何かをやろうというとき、どうにも腰が重いところがあって、これを書くのもつい後回しになっちゃって、ようやくさっきとりかかることができました。おまけに完璧主義的なところもあって、きっちり書けないと人前に出したくないなどと思ってしまいます。
しかし、なにしろこのサイトの運営方針は「いい加減」です。腰の重さには、えいっと気合いを入れて、出来の不完全さにも、えいっと目をつぶって、今書けるものを書いて、読んでくれる人に読んでもらうことにします。


今のぼくは、人間は変われるってことを誰かに伝えたいなあって、そんな気持ちでいるんです。ぼくと似たような思いをもって、日々じたばたしているかもしれない、まだ見ぬあなたに。


[今日の一冊]
イハレアカラ・ヒューレン「みんなが幸せになるホ・オポノポノ」徳間書店、2008年


ホ・オポノポノ、だいぶ流行ってるようです。
この本、さっきまで本屋で立ち読みしてたのですが、なかなかおもしろい。自分の中でひっかかっている過去の体験を「お掃除」してやることで人生が楽になる、といった内容です。
キーワードは「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛してます」。
わたしも過去のひっかかり、とくに親とのひっかかりを「お掃除」したいと思います、はい。

いい加減にサイトをつくる

今日はこのサイトの見映えをいろいろといじっていて、だいたいこんなもんかな、というところまで出来上がったのですが、やっぱりぼくのやることなので最終的な仕上がりは適当です。
そしてぼくの場合、適当なくらいが丁度いいです。


冒頭の写真は先日メキシコのカンクンを訪れたときのもの。その土地その土地で違う夕焼けの色、雲の表情を味わうのは旅の醍醐味の一つです。


コンピュータに向って作業をしていると、うまくいかないことも多く、あれこれ調べることに心が忙しくなってしまい、背中は丸まり肩が凝る、といった事態についなってしまいがちなのですが、うーん、今日もだいぶ肩が凝りました(笑)。
今は少し背筋を伸ばしてこれを打ち込んでます。


[今日の一冊]
マヘンドラ・グプタ「不滅の言葉(コタムリト)」
(田中 嫺玉・奈良 毅訳、中公文庫、1992年)


久しぶりにラーマクリシュナさんの本を読んでます。
ラーマクリシュナさんは十九世紀のインド・ベンガル地方の人で、日本に移し変えて言えば、幕末のお坊さんという感じかなと思いますが、この本はそのラーマクリシュナさんを間近に見たマヘンドラ・グプタという学校の先生が書いたラーマクリシュナさんの言行録です。


ラーマクリシュナさんは、いわゆる「悟り」体験をもつ人で、インドでは聖者とされるような方ですが、その含蓄深い言葉とともに、人間味あふれる様子が書かれているのがこの本の魅力でしょう。


お釈迦さんやイエスさんも、実物と付き合えばきっと人間味あふれる面白い人だったんじゃないかなと思うのですが、文章として残るものを見ると、やや堅苦しいイメージが付きまといますが、その辺りがこの本はちょっと違うのです。


教義として固まってしまう前の、カッテージチーズのように爽やかな世界認識、などというと何だか奇妙な表現ではありますが、既製の宗教とはひと味違う考え方を求める人にはお薦めします。
(長らく絶版になっているのが残念。図書館などで探してみてください)

いい加減に高みを目指す

ぼくは実にいい加減な人間です。
何か一つのことをこつこつと続けてやるというようなことができません。
そのときそのときの思いつきでの行き当たりばったりの人生をかれこれ半世紀も続けてきてしまいました。


そういういい加減な人間ではあるのですが、この二十年ほどの間、思い出したり忘れたりを繰り返しながらも、ある種の悟りを求めてジタバタしてきた、そういう経験があり、その経験の中には他の人の目から見ても多少なりと意味があるものもあるのではないかと考えるようになりました。


そんなわけでこのサイトでは、この世界というものになんだか違和感を感じてしまって、心理学やら運動やら宗教やら、いろんなものに足を突っ込んではみるけれど、結局どこにも落ち着く場所が見あたらず、十年一日のようにふらふらとした暮らしを続けながらも、ひょっとしたらいつかは悟りと呼んでもいいような高みに辿り着くことができるんじゃないかという淡い希望を抱きつつ、日々いい加減に生きている、そんなわたしの暮らしぶりや考えていることを、高みを目指すその眼差しのもとに書いていきたいと思うのです。


[今日の一冊]
タデウス・ゴラス「なまけ者のさとり方」
(山川紘矢・亜希子訳、地湧社、1984年)

二十代の後半、会社勤めをやめたあとで出会った、なかなか印象深い本です。
特別な修行などしなくても、ちょっとした意識の持ち方次第で経験の質を変えることができるということが、分りやすい例え話を交えて書かれた面白い本です。
この本についてはそのうちじっくり書ければと思います。