風の相談室・魂の螺旋コース会員募集

今の自分に限界を感じている方、自分の人生を変えたいと思っている方、メイルによるワークでそんなあなたのお手伝いをします。


受講料は月 12,000 円、毎月後払い、入会金はありません。また、12ヶ月目は無料となります。
基本のコースは一年単位ですが、入退会はいつでも自由です。
七名様限定のコースですので、しっかりと向き合うことのできる、落ち着いたセッションをお約束します。
内容に関しては秘密を厳守いたします。


会員以外の方でもメイルによる相談はいつでも無料ですので、コースの内容やあなたが今感じていることなど、なんでもお気軽に〈境心庵〉こと、ながのとしお kyou.sin.an+kaze@gmail.comまでご連絡ください。

背負ったカルマの落とし方 (3)

深呼吸してますか?


あなたが「過去世のカルマ」を落としたいと思っているのなら、前二回の記事に書いた通り、まずは気がついたときに深呼吸をしてみてください。
自分の人生を変えたいと思うなら、本を読んだり、人の話を聞いたりするのもよいことですが、とにかく実際に何かを変えてみないことには始まりません。
気がついたときに深呼吸をするということは、ほんの小さなことに過ぎませんが、その小さな行動の中に人生を変える鍵があることに気がついたとき、あなたの人生は本当に変わり始めるのです。

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カルマ落としの第一歩 - 背負ったカルマの落とし方 (2)

今以上カルマを増やさないために


前回書いたように「過去生のカルマ」と呼ぶべきものがあって、最終的にはそれを落とすことができたとき、人は深い意味での自由を手にするのだと思いますが、そこまで到達するのは簡単なことではありません。
その目標に至るためには、千里の道も一歩から、まずは気がついたときに深呼吸してみるくらいのことからやり始めるのがおすすめなのは前回書いた通りですが、そうやって自分の体の状態に少し注意を向けられるようになった上で、次の段階としては今ある以上にカルマを増やさないように「悪い」クセをやめるにはどうしたらいいかを考えてみたいと思います。

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背負ったカルマの落とし方 (1)

気がついたときに深呼吸をする


日本語で「業(ごう)」というとだいぶ重苦しい感じになりますが、もとのサンスクリットでカルマというのは、「行ない」程度の意味、ゴータマ・ブッダさんが言ったのは「悪いことをすれば悪い結果がやってくる、良いことをすれば良い結果がやってくる」というくらいの、ある意味当たり前の話です。

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メイルによる無料のオンライン相談室をはじめます。
毎日を楽しく過ごしたい、生き方を変えてみたい、なんだか生きるのがしんどい、周りの人とうまく合わせられない、カルマを落とすにはどうしたらいいんだろう……。
どんなことでも気軽にメイルでご相談下さい。
アドレスは kyou.sin.an+kaze@gmail.com です。
なお、現在、海外滞在中のためメイルをいただいてもすぐには返事ができないことがあります。遅くなっても必ず返信しますので、その点ご容赦下さい。


[今日の一冊]
タデウス・ゴラス「なまけ者のさとり方」
(山川紘矢・亜希子訳、地湧社、1984年)


2010年9月28日の記事にも書きましたが、ぼくが人生のコースを変える時期にいたとき、ある指針になってくれた縁の深い本です。カリフォルニアのヒッピー文化の中で生まれた本だと思いますが、スピリチュアルな人生観を神秘色は薄めにさらっと書いたよい本です。
小さな本ですし、気軽に読んでみたらいかがでしょうか。

Nas - Rule (everybody want to rule the world)

Nas の "Rule" というこの歌、そして、jimmy kim という人の作ったこのビデオ(youtube にあったのだが、今見当たらない)。それが持つ力について考えている。
目をそむけがちな事実を敢えて語ること。
r.d.レインの言う「真実の一突き」。
人間の愚かさを笑い飛ばしてみよう。カスタネダが描くドン・ファンのように。


youtube で Nas - Rule を聴く


以下、Nas - Rule の歌詞。

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カルマ落とし

前の記事を読んだ友だちから、「震災で困っている人がたくさんいる中で、あなたのように自分で稼ぐ能力のある人が、あのような自己本位の物乞いをするのはどういうことなのか」という意見をいただいた。
ぼくは、かなり社会性にかける人間なので、そのような問題との関連はまったく想像もしていず、その点では自分の迂闊さを反省している。
また、軽犯罪法1条22号で、乞食すなわち物乞いをしたりさせたりすることが禁止されているということも合わせて指摘していただき、まったく知らなかったので勉強になった。
この友だちには大変申し訳ないと思うと同時に大変感謝している。


また、前の記事を見て、同様の不快を感じられた方には素直に謝らせていただく。


そうはいっても。
震災があろうと、法律があろうと、物乞いをしてよいのだというぼくの考えは基本的に変わらない。種田山頭火だって、形は坊さんでも、結局物乞いの酒飲みに過ぎず、しかし、そういう人生を送ったからこそ、彼の俳句はあるのだ。


ぼくには俳句はないけれど、このページに書いている言葉には何らかの価値があるかもしれない。それに対して誰かが何かをくださる気持ちになってくれたならば、そのときそこには震災も法律も関係ない。
路上で暮らす人が、法律で禁じられているから、物乞いを自らすることはできなくても、その人という存在に価値を感じて誰かが何かを与えるなら、それは法律で取り締まれる類のものではない。


そういうわけで、前の記事の「物乞い」という言葉はあくまで例えにすぎないので、働かないけれど金をくれ、と言っているわけではなくて、そこに書いたことの実質は
「このページに書かれている言葉に何らかの価値を見出された方は、ご寄付を検討下さい」
ということである。


そんなに簡単に寄付がもらえると思っているわけではもちろんないし、その表現の中に甘ったれた気持ちがあることも分っている。
けれど、その甘ったれた気持ちも含めて、自分をさらけ出すことが今のぼくには必要だから、前の記事を書いた。
過去に背負った業(カルマ)を少しずつ落としていくために……。


そんなことなんです。